進級3日目の涙と、立候補した9歳の話
――少し前、新学期が始まったばかりの春に書いて、下書きのまま眠っていた話です。読み返したら、やっぱり残しておきたくなりました。
新学期が始まって3日が経ちました。
「どう?学校、慣れてきた?」
そう聞いてみると、「まあまあ」という返事が返ってきます。子どもの「まあまあ」は、大人の「まあまあ」より、ずっと多くのものを内側に抱えています。わが家の7歳の息子・リョウも、9歳の娘・メグも、それぞれのやり方で、この3日間を必死に乗り越えていました。
金曜日の夜、その「まあまあ」の中身が、少しだけ外に出てきました。
子どもの感情は、嘘をつかない。表れ方が違うだけで。
お風呂のあとの10分間
リョウがお風呂から上がった直後、突然泣き始めました。
いわゆるギャン泣きというやつで、理由を聞いても言葉が出てこない。何かが嫌なわけでも、痛いわけでも、怒っているわけでもない。ただ、わーっと泣いている。
10分ほどそのまま泣き続けて、気がつけばケラケラ笑っていました。
自閉症のあるリョウは、感情の処理に時間がかかることがあります。学校では先生もお友達も教室も、1年生のときとすべて変わりました。そのひとつひとつを、彼なりに受け止めながら3日間過ごしてきた。そのコップが、お風呂上がりの無防備な瞬間に、静かに溢れたのだと思います。
わが家の場合、こういうとき「なんで泣いてるの?」と理由を追いかけることはしません。ただそばにいる。リョウが泣き止んで笑い出すまで、一緒にいる。それだけです。
「なぜ」を問い詰めるより、「ここにいる」を伝えるほうが、ずっと早く嵐は過ぎる。
管理職として15年、チームのメンバーが行き詰まったときも同じでした。原因を掘り下げるより先に、「大丈夫か」と横に並ぶ。それだけで、人は少しだけ楽になります。
変化というストレス、3つの正体
新学期に子どもが不安定になるのは、珍しいことではありません。ただ、その理由を「わがまま」や「甘え」で片付けてしまうと、大切なサインを見逃してしまいます。
子どもが崩れるのは、それだけ真剣に「適応しようとしている」証拠です。
① 環境変化のコストは、大人が思う以上に大きい
新しいクラスメート、新しい担任、新しい座席。大人からすれば「たかがそれだけ」に見えても、子どもにとっては世界が丸ごと入れ替わるような体験です。特に感覚に敏感な子や、変化に時間がかかる子にとっては、その処理コストは相当なものになります。
② 「学校では頑張る」の反動が家に来る
多くの子どもは、学校では無意識にスイッチを入れています。崩れるのは、安心できる場所=家に帰ってから。これは弱さではなく、家が「安全基地」として機能している証拠です。リョウが家でギャン泣きして、学校では「まあまあ普通」だったなら、むしろそれは健全なことだと僕は思っています。
③ 言語化できないストレスは、身体で出る
感情を言葉にするのが難しい年齢(そして特性のある子はなおさら)は、泣く・眠れない・食欲が落ちるといった形でサインを出します。「どうしたの?」という問いかけに答えられないのは、「答えたくない」のではなく、「まだ言葉になっていない」からです。
親にできること:急がない、消そうとしない
リョウの10分間のギャン泣きを前に、僕がしたことは何もありません。正確には、「消そうとしなかった」ことが、唯一したことでした。
盆栽を育てていると、枝が曲がる瞬間というのは、急にはやってきません。毎日少しずつ、針金をかけて、水をやって、ただ時間を待つ。その積み重ねが、3年後、5年後の樹形になる。
子育てもそれに近いと思っています。今夜の10分が、5年後のリョウの「感情を受け止める力」になるかもしれない。そう思うと、急がなくていいという気持ちになれます。
今できる最善は、「急がないこと」かもしれない。
具体的な声かけとしては、わが家ではこうしています。
– 泣いている間は「なんで?」を聞かない – 落ち着いたら「泣けてよかったね」と一言だけ言う – 翌日の朝ごはんを、少しだけ好きなものにする
たったこれだけですが、次の日のリョウの顔が、少し軽くなっているように見えます。
立候補した娘の話
同じ金曜日、メグには別の出来事がありました。
クラス委員を決める日だったそうで、4人が立候補したと言います。メグも、その4人のうちの1人でした。
「立候補したの?」
思わず聞き返してしまいました。正直、メグがそういうタイプだとは思っていなかったからです。というか、僕自身がそういうことが得意ではないので、血は争えないと思っていたのですが、どうやら違ったようです。
選び方は、こうだったと言います。一人ひとりが前に出て「私はこういうふうにクラスを良くしたいです」と発表して、クラスメートが目を伏せて手を挙げて投票する。メグは、自分の言葉で話したそうです。
結果は、当選しませんでした。
でも、僕が褒めたのは結果ではありません。
「手を挙げること」それ自体が、すでに勝利だと思っている。
管理職として採用に関わってきた経験から言うと、「手を挙げられる人」と「挙げられない人」の差は、能力ではなく習慣です。小さいころから「手を挙げる経験」を積んでいる人は、社会に出てからもそれができます。落選しても挑戦したことは、メグの中に確かなデータとして残ります。
インデックス投資に似ているな、と思いました。今日の1株が、10年後にどれだけの値打ちになるかは、誰にもわからない。でも、買い続けることをやめなければ、資産は育ちます。メグが今日体験した「立候補→スピーチ→結果を受け取る」というプロセスは、将来の彼女にとって、確実にプラスになると思っています。
今日からできる、小さな一歩
新学期のこの時期、子どもの様子が気になる方へ。特別なことは何もしなくていいと思います。ただ、こんなことを意識してみてください。
帰宅後15分は、スマホを置く。 学校から帰った直後の子どもは、感情の蓋が緩み始めています。その瞬間に「おかえり」と顔を見て受け取るだけで、子どものコップが少し軽くなります。
「頑張ったね」より「いてくれてよかった」。 結果を評価する言葉より、存在を肯定する言葉のほうが、この時期の子どもには届きます。
手を挙げた話は、全力で褒める。 結果がどうであれ、挑戦したこと自体を具体的に言語化して褒めてあげてください。「立候補したこと、すごく立派だったよ」というひと言が、次の挑戦の種になります。
まとめ:すぐには育たないものを、育てている
金曜日の夜、リョウは10分泣いて笑い、メグは落選して「また次もやってみる」と言っていました。
僕には、何もできていません。ただ、そばにいただけです。でも、それでいいんだと思っています。
「すぐには育たないものを、育てている」
これが、このブログのテーマです。盆栽も、投資も、子どもも、結果が出るまでに時間がかかります。でも、手をかけた分だけ、いつか必ず形になる。そう信じて、今日も淡々と水をやる感覚で、育てていきたいと思います。
今日の積み重ねが、10年後の子どもになる。


コメント