週末、仕事から帰ると、タカラが玄関で待っていた。目が合って、キラキラした目で「自転車にすすす!」と言う。「する」と言えないタカラの自転車でお出かけしたい、のサインだ。
正直に書く。仕事で消耗して、行きたくない日だって少なくない。
それでも、タカラの為、妻の為、エナの為、行くのが最もみんなが丸く収まる選択なのだ。
タカラは発語がほとんどない長男で、この「自転車にすすす」はうちで通じる、数少ない自発語のひとつ。言われるまま自転車を出して、後ろに乗せる。家から大宮駅までは片道40分。タカラは後ろで、上機嫌に歌をうたっている。もう2年続いている、うちの週末の風景だ。
うちは4人家族。長女 エナ(9歳)、長男 タカラ(7歳)、妻と私。タカラは重度の知的障害で、発語がまだあまりない。
この記事は、ただのうちの日常の話だ。
幸せです。と書いてしまいたいし、ほんとうにそうなのだけれど、その幸せの横にはいつも、少しだけ怖さがある。
それも込みで、書いていく。
タカラってこんな子
「自転車にすすす」と「お風呂の時間だよ」
タカラが自発的に口にする言葉は、多くはない。けれど、この2つは本当によく口にする。どちらも、タカラが好きなものだ。
週末、私が仕事から帰ってくるのを、タカラはほぼ毎回「自転車にすすす」で迎えてくれる。
平日、妻は子供2人と家にいるのだけれど、タカラは一度外に出ると家に戻りたがらないので、日中はなかなか出かけられない。
そのぶん、18時過ぎに私が帰ってくると、タカラのなかで溜まっていたエネルギーが、一気に「自転車にすすす」として噴き出すらしい。
自転車の後部座席に乗せて、大宮駅までのんびり走る。
タカラは後ろで、「ABCの歌」や「だんご3兄弟」を、けっこう上手に歌っている。
行き先は決まっていて、駅ナカのワッフル屋。
ひとつ買って、二人で食べながら帰る。
週末も含めて、週に3〜4回、これを繰り返している。
「お風呂の時間だよ」はタカラのもうひとつの口ぐせ。好きすぎて、一度入ると中々出てこない。湯船で遊ぶのが好きで、私や妻が「そろそろ出ようか」と言っても無反応。最終的に出てくるのは、レーズンのおかげだ。「出たらレーズンあるよ」でようやく立ち上がる。昔はつぶグミだったのだけれど、虫歯になってしまってレーズンに切り替えた。今や、レーズンのない我が家は成立しない。
風呂上がりのタカラが、レーズンの袋を握って満足そうに出てくるのを見ると、笑ってしまう。かわいい。
ただ——その夜、タカラを寝かしつけて、ソファで一人になったときに、ふと思うことがある。俺は、この子のために、本当はもっと出来るんじゃないか。もっと良い療育、もっと良い選択肢、もっと良い未来。考えても仕方ないと分かっているのに、考えてしまう夜がある。そういう夜は、ちょっとだけ眠れない。
今は特別支援学校が始まって、21時には寝てくれる。昔は23時まで起きていて、妻と2階で寝かしつけていても、リビングの私のところに一人で降りてきたものだ。寝る気になるまで、ソファで付き合った夜が何度もある。いまは楽になった。楽になって——それはそれで、少しだけ寂しい。

エナには、正直、助けられている
エナは、妙にしっかりしている。9歳で、もう私より気が利く瞬間がある。
弟が重度の知的障害ということで、エナには小さな我慢を強いる場面が、どうしても多い。一緒にお出かけを予定していても、タカラのコンディションで諦める日もある。買い物で並んでいたら、タカラが音に驚いて泣き始め、エナが「先に帰ろ?」と言ってくれる日もある。
親として、申し訳ないと思っている。口には出さない。出したら、エナが余計に背負う気がするから。でも、心の底ではいつも、ちゃんと申し訳ない。
だから、エナが「欲しい」と言ったものは、基本的に全部叶える。本も、服も、体験も。
エナは本が好きで、ずいぶん読む。名探偵コナンは1巻から100巻まで揃えた。ほかにも『ざんねんないきもの事典』『わけあって絶滅しました。』『りんごかもしれない』。最近は図書館で『銭天堂』を借りてきて夢中になっている。
料理も、できる。最初は、私が台所に立っていると、黙って隣に来て、ただ見ているだけだった。
ある日「醤油入れたい」と言ってきた。瓶を両手で傾けて、案の定ちょっと入れすぎる。次の週は「フライパンに入れたい」。その次は「唐揚げ混ぜたい」「じゃがいも切りたい」。言ってきた瞬間に、全部やらせた。これは私と妻の方針だ。「やりたい」と言ったら、止めない。
唐揚げの油で手を軽く火傷して、泣いた日もあった。それでも翌週からまた、「手伝っていい?」と台所に来る。9歳の心の強さに、こっちが恥ずかしくなる夜がある。
最初の頃は、隣で一つずつ手順を教えていた。でも、今は違う。エナは自分で料理本を手に取って、「ちゃんとやりたい」と言って、レシピを最後まで読み込んでから作る。もう、教えることはあまりない。
ある朝、出汁のいい香りで目が覚めた。香りに引っぱられるように台所に行って、そこで思わず立ち止まった。エナがひとりで、真剣な顔で鍋を覗き込んでいた。
「マジかよ」と思った。口には出さない。でも心の中は、完全に立ち止まっていた。9歳の娘に、料理で本気度を抜かれた瞬間だった。悔しいのか、嬉しいのか、ちゃんとした言葉にならない。「すげえな、こいつ」に近い、何か。ちょっと、照れた。
最近は「今日、味噌汁お願いしてもいい?」と頼むと、真顔でうなずいて台所に立つ。9歳である。
お菓子作りも好きで、クッキーは完全に一人で焼く。ちなみに、クッキーの作り方は、私も妻もじつは知らない。エナに任せきりだ。
映画もよく一緒に観る。すみっコぐらし、プペル、ドラえもん——これまで10本くらい一緒に観た。エナが笑うと、こっちも笑ってしまう。
4人のある一日
週末の夕方。タカラの「自転車にすすす」で私は自転車を出し、エナは「今日、焼いていい?」とキッチンでクッキーの本をめくっている。妻が隣で、微笑んでいる。
私はタカラを後ろに乗せて、家から大宮駅までの40分を走る。タカラの歌声が、背中で揺れている。帰り道のワッフルは、タカラの手が先にのびる。
家に着くと、エナが焼いたクッキーの匂いがする。タカラは「お風呂の時間だよ」と早々に風呂場へ向かい、レーズンで釣り出されるまで湯船で歌っている。
食卓には、エナが出汁を取った味噌汁が並ぶ。妻がごはんを盛る。私たちは4人で、食卓を囲む。誰かが何かすごいことをしたわけじゃない。こういう一日が、毎週、何度も何度も繰り返されている。

人生設計してるから、今日を笑える
こう書くと、うちは毎日ほんわか暮らしているだけみたいだけれど、本当のところ、私は「親亡き後」の計算もちゃんと済ませている。
タカラが大人になったあと、お金は足りるのか。制度はどこまで埋めてくれるのか。私たち親は何を準備すべきなのか。——数字と制度の話は、別の記事で書く。長くなるので、ここでは置いておく。投資の話(高配当株でキャッシュフローを作る設計)も、また別記事で。
そして、いつか盆栽を核にした居場所づくりができたらいいな、とも思っている。タカラが大人になったときに、手を動かして、誰かに渡して、「ありがとう」を受け取れる場所。まだぼんやりした構想だけれど、少しずつ形にしていけたら。
人生設計しているから、今日を笑える。順番は、そっちが先だ。
つづく、うちの話
このブログは、こういう家族の日常と、その下準備の話を書いていく場所にしていきたい。タカラのこと、エナのこと、お金のこと、制度のこと、いつかの盆栽のこと。ばらばらに見えて、ぜんぶ同じ話だと思っている。
幸せだ、と何度でも書く。ほんとうに、そうだから。
ただ、幸せの横で、毎日ちゃんと怖い。タカラが大人になったとき、俺はもう側にいないかもしれない。エナに重いものを置いていってしまうかもしれない。逃げ出したい夜も、まだこれから何度もある。
それでも、玄関で「自転車にすすす」と言われたら、自転車を出す。出せる自分でいたい。
よかったら、続きも読みにきてください。
今日も、悪くない一日だった。

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